2018年を振り返ると、いろんなことをやめてみた1年でした。
「やめる」というとなんとなく後ろめたいことのように聞こえたりもしますが、
なんらネガティブなことではありません。
私は職業人生の大半をデザイナーとして過ごしてきて、過去には「引き算のデザイン」とか「ホワイトスペースで語る」とか「Less is more」とか、えらそうに語っていたわりには、自身の内側はみっちみちのギュウギュウであり、まったく余白のない状態だったことをここに告白いたします。
どの口が言うのかと、反省至極であります。
そういった反省のもと、2018年はいろいろなことをやめてみました。
中にはスッパリやめるのではなく、頻度を減らした習慣もありますが、結論としてはやめて正解。
後悔なんて微塵もなし!
あまりにさっぱりして最高の気分なので、少し書いてみたいと思います。
2018年やめてみたこと
去年やめたものを書き出してみます。
- 電話に出る
- Facebookの利用
- webサイトの巡回
- 希薄な人間関係の維持
- アプリの通知
- テレビを見る
こう見るとけっこうありますね。
1から6はやめるのに勇気が必要だった順に並べています。
電話に出ないのは社会人としてどうかと思うこともなくはないですが、やるからには徹底してやらないと、中途半端は良くないですね。
まとめてシンプルに言うと、ソーシャルネットワークを遮断して、コンテンツとの接触機会を減らしたってことですね。
私はただでさえ注意力散漫な男です。
自分の気を散らすものや、自分ではコントロールできないタイミングで行動を強いられるものを徹底して避けました。
やめてみる基準
やめるかどうかの基準はとても単純で、それをやることで自分自身(と家族)が幸福にならないものは、やめました。
つまり1から6のどれ一つとして、私の幸せに貢献しているものはなかったってことですね。
やめた習慣の中には、
これをやめたら困るんじゃないか。とか、
今は特に必要ないけど、いつかどこかで役に立つかも。。
という若干後ろめたい気持ちになるものも多かったのは事実ですが、これも勝手に思い込んでいるだけです。
たいていのことはやらなくても困りませんし、今必要のない情報は、将来に渡っても必要なく、たぶん未来永劫役に立つことはないのです。
チャットですむような用事に電話はいらないし、自己承認欲求と広告が渾然一体となった闇鍋の如き投稿にイイねしなきゃいけない理由もありません。
スワイプしてタップするだけで簡単に手に入る情報に、特別な価値などないのも考えればあたりまえで、LINEやアドレス帳に登録してある一度も連絡したこと無いあの人は、きっと自分のことなんて覚えていやしません。
テレビはもともと見てなかったので捨てました。
どれもこれも、自分とは関係がない、つまらないことであるにもかかわらず、貴重な時間を費やしてしまっていたことを実感するようになりました。
おまけにアレもやめた
ついでに言うと、他人の幸福に寄与しようとするのもやめました。
「こうしたらあの人にとって良いかも知れない。」と、勝手な思い込みでやっていた小さな親切も、積み重なると自分にも相手にも負担になります。
あまつさえ「こんなに親切にしているのに気づいてくれない!」などと、無意識に見返りを求めてしまったりする自分もいて、良いことなんてなにもないわけですよ。
期待されない自分を目指すことで、他人にも過剰な期待をしなくなるってことなんでしょうか。
裏切られた期待が失望に変わった。。みたいな気持ちと無縁になりました。
シンプルに、私は私の人生を生きることにのみ、向き合おうと思います。
つまらぬものをやめてみたら
失敗したらもとに戻せばいいや、くらいの気持ちでバサバサ切ったので、どこかで後悔はあるかも知れないと考えていた時期が私にもありました。
考えが間違っていましたね。完全に。
私の限られた時間を細切れにして奪い合っていたコンテンツを一掃し、希薄な割に煩わしい人間関係とも距離をおいた結果、行動が制限されたり束縛されているように感じることもなくなり、今目の前にあることに集中できるようになりました。
2018年つまらぬものをやめたことで、私は「自由なヒマ人」になったのでした。
自由でヒマな状態は、ある意味最強です。
この話はまた後日書こうと思います。